大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(オ)20号 判決

上告人

倉本トセ子

右訴訟代理人

大木章八

高林茂男

被上告人

倉本正明遺言執行者

倉本喜助

右訴訟代理人

田辺尚

松田良雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大木章八、同高林茂男の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができる。右事実関係のもとにおいては、本件遺言公正証書による正明の遺言は無効とはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例(大審院大正六年(れ)第三六六三号同七年三月九日判決・刑録二四輯一九七頁)は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(団藤重光 藤崎萬里 戸田弘 中村治朗)

上告代理人大木章八、同高林茂男の上告理由

第一点 原判決は、民法第九六九条第二号の解釈を誤つており、その結果本件遺言公正証書を適法なりとする誤つた判断をしているのである。

すなわち、

一、民法第九六九条第二号は遺言書が遺言の趣旨を公証人に口授することと規定しているところ、この遺言の趣旨の口授については疾病のため言語が不明瞭となつたものに対して公証人が問を発し、遺言者が仰臥したままわずかこれに動作で答えた如き場合は口授とはいえないというのが通説であり、大審院大正七年三月九日判決(大審院刑事判決録二四、一九七頁)も「遺言が疾病の為め言語明瞭を欠き、公証人の質問に対し言語を以つて答述することなく僅に挙動に依り首肯し又は首を左右に振るが如き形容を為すのみにては遺言者が口述を為したるものと解すべきものに非ず、従つて遺言の本旨として其問答を掲記するも公証人に於て遺言者の口述を筆記したるものと為すを得ざるものとす。」としており、また東京高等裁判所民事第五部の昭和三九年一二月二三日付判決(東高民時報一五巻一二号二六八頁)は「あらかじめ用意された書面を公証人が読み上げ、遺言者がうなずいたとてそれは口頭による意思の表明でないのはもちろん、真意の表明につき疑いを入れる余地がないとはいえないので本件遺言は公証人に対する遺言の趣旨の口授を欠くものというべきである。」としているのである。

けだし、叙上の如き場合はいまだ遺言者の真意に発するものとは認め難いからである。

二、ところで、本件事件の特色は(1)本件遺言にさき立つて遺言者以外の者、すなわち倉本好一、倉本次子、被上告人倉本喜助、高島孝道によつて遺言の原案が作成されたこと、(2)しかもその原案作成の主催者は、本件遺産の主要なるもの、つまり土地二筆合計一、四八七平方メートルの受遺者たる倉本雅彦の法定代理人である実父母であること、(3)この原案をメモして同人らがこれを公証人に交付し、同内容の遺言の作成を依頼したこと、(4)同公証人はこれに基づいて甲第一号証の原本の原案を作成したこと、(5)公証人は、そしてこの原案を持参して正明の病室に赴きこれを正明の面前で読み上げる如くしたこと、(6)そして正明は署名が出来なかつたので公証人が代つて署名したこと、という経過によつて作成されているのである。

三、一方、本件遺言がなされた昭和四七年一二月五日における遺言者正明の身体的状況は署名することができないことでも明らかな如く、すでに著しく衰弱し、第一審判決も認めている如く顔や手はやせ細り顔色は青白く、一見して死期が近づいたと感じられ、自ら進んで話をすることはなく、非常に苦しそうな状態であつたのであり特に、その病気が肺がんであつた関係上、被上告人が第一審裁判所においていみじくも「声を出すことは困難なようでした。」と供述している如く声を出すことは困難な状況にあつたのであり、このため自己の財産処分について積極的に何らかの処理をしようと考えうる状況にはなかつたものである。また清水フミ子証人も「言葉は明確に出ないこともありました。」「答えるというよりうなづいたり指示する方が多かつた。」と証言しており、少なくとも積極的に自己の意思を発現せしめる状況になかつたことを示しているのである。更に加藤澄子証人及び尾嶋カズエ証人の証言を併わせ考えると少なくとも亡正明が当時自己の思考に基づきたの真意を十分表明する気力を有していなかつたことは明らかである。換言すれば公証人より質問されても気分的にめんどうなこともあつた筈であるし「ノー」といえる気力を持ち合わせていなかつたと考えられるのである。

四、ところが原判決はほとんど実際には控訴審における証人高島孝道の証言のみに基づき、「公証人が右筆記を項目ごとに区切つて読み聞かせたのに対し、そのとおりである旨述べ、時にうなずくだけで声に出さない場合にはその都度公証人に注意されて声に出して前記のように応答したのであつて、その間公証人といろいろ問答し、金員を遺贈する者の名を挙げ『トセ子(被控訴人)を頼むよ』と述べ、数字の部分については公証人に促がされて声に出して述べる等し、最後に公証人前記筆記を通読したのに対し大きくうなずいて承認の上疲労のため自署はできなかつたが、公証人に助けられて自ら前記筆記に捺印し、公証人は右筆記を原本として本件公正証書を作成したものであり、この間約一時間を要したことが認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。」と判断しているのである。

しかしながら、右判決は前記の如き正明の身体的状況についての証拠をいたずらに排斥したのみならず、遺言公正証書の方式の厳格性が遺言書の真意にあることに鑑みるとき本件の如く遺言者以外の者特に実質的に異ならざる地位の者が作成した原案を読み上げたことに対し単に受動的に「そのとおりである。」と述べたのみであり、或いは発語しないときはうながされたというがこれこそ単に形式を整えるために発言させられたというべきで被上告人も「正明の方から積極的に話したようなことは聞いていない。」と供述している如く、遺言者自ら積極的な発言を全くなしていないのであるから公証人に対する口授があつたということはできないものといわなければならないと思料されるのであつて、誤つた判断といわざるを得ない。

けだし、正明の当時の身体的状況からすると公証人から原案を読み上げられても「ノー」というのもめんどうな状況にあつた筈であるから、右の程度をもつて遺言書の真意の発現があつたというを得ないからである。更に付言すれば、右の如き事情にある場合に真意の発言があつたというためには少なくとも遺言内容のいずれかについてなんらかの形で能動的な意思の発言がみられることを要すると考えるべきであるからである。

それのみならず原判決が用いている証人清水フミ子、同高島孝道、被上告人本人の各供述も微妙に食い違い、これらを対比すると別表のとおりであり、更に証人加藤澄子、同尾嶋カズエの証言を勘案するならば、原判決の如き口授があつたという認定には著しい疑いが生じざるを得ないのである。

五、また更に、正明はすでに上告人と倉本次子とが口を聞かない関係にあつて上告人が同人の看護扶養を受けることがあり得ないことを知つていた筈であるから、もし正明が真実その意思を発現できる気力があつたとするならば当然に上告人の看護扶養を倉本好一夫婦(実際上は倉本次子)に委ねるという遺言をするとは考え得ないのにその筆記のままに遺言書が作成されたことは、かえつて正明にその真意に基づく遺言をなし得るに足る身体的状況つまり、公証人に対し詳しく説明して変更を求めるに足りる話しをする能力あるいはそれを行なうだけの気力もなかつたことを顕著に表わしているといつても過言ではないのである。

六、よつて本件においてはこの程度では口授があつたとはいい得ないのであるから原判決は破棄されるべきである。

第二点〈省略〉

〈参考・原審判決理由〉

二 そこで本案について判断するに、請求原因一の事実及び亡正明が昭和四七年五月八日横浜市民病院に入院し、療養をした事実は当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すると、正明は右のように入院して療養を続けたが、病状は好転せずに悪化の一途をたどり、衰弱も甚しくなつて、自らも死期の近づいたことを感じたのか、同年一一月後半に至り、遺言をしておこうと考え、かねて親しく出入りしていた本家の倉本好一とその妻の次子に対し、その旨を告げて、公証人の依頼方を頼み、また、見舞に来た友人の高島孝道及びいとこの妻清水フミ子に遺言の証人となることを依頼したこと、そこで右倉本好一は、同月下旬頃、自宅に右高島孝道と控訴人を招き、次子をまじえて、正明の意向に添つて同人の財産の分配について協議し、その結果を次子がメモした上、その頃好一らにおいて鈴木信次郎公証人を訪ね、右メモを交付して遺言公正証書の作成方を依頼したこと、右公証人は、右メモに基づいて公正証書作成の準備としてその筆記を作成の上、同年一二月五日正明の病院に赴いたこと、当時正明の衰弱は甚だしく、顔や手はやせ細り、顔色は青黒く、一見して死期が近づいていることを思わせるものがあり、非常に苦しそうな状態であつたが、意識は判然りしていて、公証人や証人(高島孝道、清水フミ子)らが入室するや、付添人にベツドの上に起き上がらせて貰い、「御苦労さん」と挨拶をし、公証人から前記筆記を示され、更に、公証人が右筆記を項目ごとに区切つて読み聞かせたのに対し、そのとおりである旨述べ、時にうなずくだけで声に出さない場合には、その都度公証人に注意されて、声に出して前記のように応答したのであつて、その間公証人といろいろ問答し、金員を遺贈する者の名を挙げ、「トセ子(被控訴人)を頼むよ」と述べ、数字の部分については公証人に促がされて声に出して述べる等し、最後に公証人が前記筆記を通読したのに対し大きくうなずいて承認の上、疲労のため自署はできなかつたが、公証人に助けられて自ら前記筆記に捺印し、公証人は右筆記を原本として本件公正証書を作成したものであり、この間約一時間を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、本件遺言公正証書は遺言者である正明の口授に基づいて作成されたものと認めるのが相当である。

してみれば、本件遺言公正証書による正明の遺言は無効とはいえないから、被控訴人の請求は理由がないものとして棄却すべく、これと異る原判決は不当である。よつて、民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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